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コト2020.07.29

スタンフォード大学非常勤教授 脳科学者 デイヴィッド・イーグルマン氏「自分の未知の可能性にアクセスできる脳の可塑性」

HCDの参加者にとって、コンファレンスのスタートを飾るオープニングキーノートは、最新の医療現場から伝えられる発見や洞察を共有して、今後のデザイン活動への刺激を受ける機会です。

『HCD 2019』のキーノートは、脳に可塑性(柔軟性、適応性)があり、それを利用することで人々が自分の未知の可能性にアクセスできるという内容でした。講演したのは、スタンフォード大学非常勤教授の脳科学者で、『あなたの知らない脳』など数々の著書を記し、さらにエミー賞にもノミネートされたテレビ番組『The Brain』の脚本者としてよく知られるデイヴィッド・イーグルマン氏でした。 その講演の前に、HCDの主催者や関係者が壇上に立ち、各方面からの脳科学の分野への注力を語りました。HCDの主催者で雑誌『Healthcare Design』の出版社のトップであるクリスティン・D・ザイト氏は、この分野が現在は国民全体の健康管理やロボット、AIを含むテクノロジーも捉えた広範な範囲にも及んでいることを強調しました。

センター・フォア・ヘルスケアデザイン(CHD)会長兼CEOのデブラ・レヴィン氏は、30年前は生まれたばかりの領域だったHCD会議への参加者は500人に過ぎなかったのに、現在は4000人を超えていると、その拡大ぶりを語りました。今では大学にもHCD専門の学部があり、またエビデンス・ベースの医療も盛んに行われるようになっていますが、それは30年前に医療の中にデザインを統合しようとした小さなグループが活動を起こしたことの成果であると述べました。

他にも、米建築家協会(AIA)のヘルスアカデミーの会長も挨拶に立ち、HCDとAIAの共催で開かれるミーティングやイベントの数々を紹介しました。

さて、イーグルマン氏の講演は医療とクリエイティビティの両方にまたがるもので、HCDという領域を常に開拓し続ける参加者にとっては刺激的なものでした。

同氏はまず、脳の働きの神秘に触れました。脳には870億ものニューロンがあり、複雑さに満ちているといいます。ニューロンはそれぞれに接続し合い、接続部分の数は500兆にも上るそうです。そのニューロンの働きによって、人は思考したり、幸せを感じたり、心配な気持ちになったりするわけですが、その仕組みは未だ解明できていません。しかも、多くのことは無意識のうちに起こっています。人間が意識を持って行うことは、実はほんの一部に過ぎないのです。

無意識のうちに人々がやっていることは多数あります。イーグルマン氏は面白い例を挙げました。例えば、同じ女性の顔写真を見ても、瞳孔が開いていれば魅力を感じる男性が増えます。瞳孔の開きは、相互に惹かれる場合に起こる現象だといいます。また、歯医者にはデニスという名前の人物が多い、結婚したカップルには同じ頭文字の持ち主が多いなどです。
意識と無意識は、実に興味深い対象です。優れたテニスのサーブやハンドルさばきなどは無意識のうちにできることですが、一旦説明しようとするとうまくできません。
意識と無意識の間に、なぜこのようなギャップがあるのでしょうか。イーグルマン氏はその理由を「意識が効率化を求めるから」だと説明します。ちょうど大企業のトップが、社内の日々の細々とした出来事には関わらずに経営を行おうとするように、意識は最重要事項だけを脳に入力しようとするのです。ところが、そうした効率化を続けることによって、脳は自動化に陥ってしまうのです。

ここでイーグルマン氏は、シカゴの修道女の研究に触れました。献体された修道女の脳の3分の1は明らかにアルツハイマーによって破損されていたにも関わらず、彼女の生活ではその兆候がまったく見られなかったというのです。修道女の生活は教会の務めや他人に会うなどで多忙を極め、それが脳神経の再構造化を促して脳を活性化させていたというのです。
ここからイーグルマン氏は、脳は固定化されているのではなく柔軟性に満ちていて、柔軟性を促すためには自分のスキルを新しい方法で使うことが助けになるといいます。同じ対象に対して数々の描き方を試したクロード・モネや歌川広重も、自分の意識の限界を広げようとしていたのです。「他の方法はないか?」と常に探求することを習慣化することによって、誰もがそこに到達できるのです。
これは個人の生き方にとって重要であることは間違いありませんが、これからの企業活動にも必要とされるものでもあります。産業経済の時代を経て、今は情報経済時代へ突入していますが、これからやってくるのはクリエイティブ経済の時代です。既存の製品やサービスに固執していると、企業は時代遅れになりかねません。ただ、飛躍しすぎると世の中に理解されません。スイートスポットは、「違う道」を歩むところにあるとイーグルマン氏は語ります。

スタンフォード大学のイーグルマン氏のラボでは、脳のニューロンが組み変わることを証明するために様々な実験を行っています。例えば、音を感触やライトに転換するベストを着用した聴覚障害者が、どのように言葉を理解するようになるか、あるいは同様のベストを着用してドローンの操作を見通しの悪いもやの中でも行えるかといったことです。
「世の中に固定されたものは何もない」。これがイーグルマン氏の結論です。社会がクリエイティビティを育てるためには、失敗に寛容な文化が必要であると同時に、新しさを常に探求する姿勢が求められます。脳の可塑性の核心は、自分にとっての新しさを求めることにあります。イーグルマン氏は、毎日違った道を辿って通勤したり、腕時計をいつもとは反対側の手首につけたりといった小さなことでも実現されると強調しました。
「ドグマを避けろ」。これが、同氏がHCDの参加者に投げたメッセージです。

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