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ヒト2020.10.29

幸せは身近なものの中にある。死を体験するワークショップ「人生の卒業旅行」のメッセージ。-後半

前半部では、社会的な辛さや生きる意味を失う辛さへも寄り添うこと、そして、生命を尊重して死ぬことを自然なことと受け入れる緩和ケアの在り方について語って頂きました。その本質は生命尊厳の哲学だということを理解しました。

さて、後半部では死を疑似体験するワークショップ「人生の卒業旅行」の目的や伝えたいことについてご紹介したいと思います。

心に届くワークショップ

きっかけは、自分らしさを見失ったまま亡くなっていく人と、その人を取り巻く家族や医療者の悲しみの連鎖を少しでも和らげることでしたが、その先に課題を感じたことは、医療者の患者に対する態度だったそうです。

河野さん

「こんな姿になってまで生きているのが情けない・辛い」といった患者さんの気持ちを和らげることができるのも医療者であり、反対に、その辛い気持ちを強めてしまうのも医療者の態度にあるのではないか、と思っていました。例えば、ベッドから動けなくて苦しい時に、ナースステーションから大きな笑い声が聞こえてきたらどうでしょうか?自分の人生の最期の時間に自分のことを大切に思ってくれていない医療従事者に支えられて生きていくことは辛いと思うのです。どんな状況でも自分のことを大切に思ってくれる誰かの存在があることで、もしかしたら情けなさや何もできない苦しみが和らぐのではないか、と感じていました。”

不安や焦燥感を抱えた患者の心理は繊細です。人として大切に扱われていると最期まで感じさせることが医療者の大事な役目なのかもしれません。

自分も相手も「いずれは死にゆく存在」と認知しているのは感覚的なことだと言います。座学で老年看護学を学ぶだけでは、一時的な記憶としては残りますが、時間が経てばいずれ忘れてしまいます。その点、ワークショップは、その体験を通して頭ではなく感情に訴えかけることができるのだとか。

初めて緩和ケアの講師を務めた時の写真

河野さんのワークショップのタイトルは「人生の卒業旅行」。フェイスブックで公募も募りながら、怖がらず、しかし死をイメージできるよう意識して名付けたそうです。

河野さん

“卒業の「業」は何かひとつのことを修めて次のステージに行くという意味合いがありました。「人生を修めた」という意味もあるのですが、上へ何かを求めていくのではなく、そこから降りて一度自分自身を深めてみないか、という意味の「業」もあります。”

架空の主人公が病を患い、亡くなるまでの物語。河野さんは五感に訴える言葉や、対比の描写を心掛けたそうです。

河野さん

“私が意識して表現したのは、五感です。冷たい風や蒸し暑い空気、そして味です。生きている時に私たちが当たり前のように感じている感覚を思いながら聞いてもらえるとよいと思いました。また、変わっていく自分と変わらずにそこにある自然の対比も意識し、四季や月の満ち欠け、虫の音など、色々と季節を感じるキーワードを散りばめていました。”

今年の9月にmashup studioにて開催した「人生の卒業旅行」

自分自身を深め、広げる

物語を通じて自分を深めていくこと、そして違う人の考えに触れて価値観を広めていくこと。河野さんはこの2つの目的を満たすため、ワークショップを進行する上で大事にしていることがあるといいます。

河野さん

“予め「こういう立場で見てください」とか「こういったことを意識して感じてください」という誘導は絶対にしないようにしています。その物語の中で、自分は主人公になるのか、客観的な視点で見るのか、それとも誰か大事な人を亡くした経験から失った人の視点に立って見ているのか、人によって全く異なると思うのです。固定観念を植え付けないようにして、自由な感想がより浮かびやすいように進行しています。”

“物語を終えた後のシェアタイムではその場で出てこない視点もあります。そこは私が最後に補足をするようにしています。私の唯一の強みとしては、今まで出会ってきた数百人、あるいは数千人近くの方の人生の最期の姿や言葉を受け取ってきていることです。それらを私が代弁して伝えていくことはできます。”

河野さん

自分が正しいと信じていることが必ずしも相手にとっての正しさではないのはもちろん根幹にありますし、「こうでなければ幸せな生き方ではない」という固まった考え方も崩れるのでしょう。家族に見守られて「ありがとう」と言って旅立つのが最善の死という固定概念があると、そうではない死に方をした人が残念だったのか、と対比されて二極論になってしまいます。どんな生き方も最期の迎え方も、そこにはその人なりの意味があり、不正解はないのです。

筆者自身も、実際に物語が進行する過程で、家族や友人、恩師の顔、青春時代の道場やグラウンドなど様々なものが脳裏に蘇りました。その時、自分が他者との関わりの中で存在していることに気づきます。つながりの再認識は、かけがえのない今を生かされている感覚を呼び起こす効果があるのです。

河野さん

“自分にとっての幸せややりたいこと、目標を外にばかり探しに行ってしまいがちですが、ワークショップを終えた時に本当に身近なものの中に自分の存在価値や幸せはあるのだと感じてくれる人も多くいらっしゃいます。この場は小さな幸せ探しの達人になる第一歩だと思うのです。「色々なことができなくなってしまっても私にはこれがある」と思える人たちが沢山増えていくとよいと思います。”

コロナ禍での外出自粛により、これまでの生活様式は変容しました。中には、仕事や自信を失い、生きる意味を考えた人もいたのではないでしょうか。

日常を失って初めて、私たちは、誰かや何かのつながりの中で生かされていたことに気づきました。

幸せはごくありふれた日々の中にある。それに気づいた人から、本当の意味で幸せになっていくのかも知れません。

幸福の形や捉え方は人それぞれ異なり、生き方・死に方に正解・不正解などはじめから存在しないと理解することは、ありのままの姿を受け入れ・受け入れられることにつながります。

ストレス社会に生きる現代人が忘れかけた「受容」こそ、QOL向上に不可欠な要素なのではないでしょうか。

人生を、世の中を、もっと自由に、生きやすく。

緩和ケアのシーンから多様性の思想が広がれば、幸せに気づける人も増えていくでしょう。

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