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コト2021.12.23

これからの医療に求められる「インクルーシブデザイン」とは? 国内の第一人者・平井康之に聞く、その現在地と医療への応用可能性

これからの「医療」を考えるうえで、「デザイン的思考」が求められるようになっています。その一方で、さまざまな事情を抱えた患者さんをあまねく受け入れる病院は、いわゆるマジョリティ向けのものとして発展してきた「デザイン」だけでは不十分な側面もあります。

医療のさらなる発展のために参照すべきなのが、「インクルーシブデザイン」という考え方ではないでしょうか。インクルーシブデザインとは、あらゆるバックグラウンドをもつ社会的マイノリティを包摂し、誰もがその恩恵を受けられる社会を目指すもの。

インクルーシブデザインは医療の世界にいかなる影響を与えうるのでしょうか? そのヒントを得るべく、日本におけるインクルーシブデザイン推進の第一人者である、 九州大学大学院芸術工学研究院教授の平井康之さんにインタビューを実施。インクルーシブデザインの定義と現在地から、医療への応用例までを考えます。


平井 康之(ひらい やすゆき)

九州大学大学院芸術工学研究院デザインストラテジー部門教授。1961年生まれ。京都市立芸術大学卒業後、コクヨ株式会社にデザイナーとして勤務。在職中の90~92年に英国のデザイン大学院ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)に留学。帰国後、デザイン思考で著名なアメリカのデザインコンサルタント会社 IDEO(アイデオ)に4年間勤務。九州芸術工科大学(現・九州大学)准教授を経て現職。インクルーシブデザインとデザイン思考を教えながら、さまざまな企業のコンサルタントや共同プロジェクトを実践・研究している。SDGs Design International Awards 2019審査委員長。ドイツRed Dot賞、グッドデザイン賞など受賞多数。著書に『インクルーシブデザイン: 社会の課題を解決する参加型デザイン』などがある。

(PHOTOGRAPH BY SEIYA KAWAMOTO)


無意識のうちに犯してしまう「6つの排除」

「インクルーシブデザインとは、これまで排除されていた人々を包含するデザインであり、メインストリームなデザインを行うアプローチ」です。 インクルーシブデザインの世界的第一人者であるジュリア・カセムは、その排除について6つの排除を定義しています。(ジュリア・カセム、平井康之ほか『インクルーシブデザイン: 社会の課題を解決する参加型デザイン』より)。

デザインが無意識のうちに犯してしまう「6つの排除」──①身体的排除 ②感覚的排除 ③知覚的排除 ④デジタル化による排除 ⑤感情的排除 ⑥経済的排除──とその影響を理解し、人々を「インクルージョン(包摂)」するためのデザインが必要だということです。

類似する概念として、20世紀末から提唱されている「ユニバーサルデザイン」があります。インクルーシブデザインと理想を同じくしていますが、もともとユニバーサルデザイン7原則のように、障がいのある人々や高齢者の利便性向上を中心に展開されてきた点が異なります。インクルーシブデザインは、高齢化や障がいにとどまらず、情報化や経済状況などで排除されてきた人々を広範に対象としているからです。

さらに、「ために」ではなく「ともに」という点も重要です。インクルーシブデザインにおいては、想定された人々の「ために」つくるのではなく、プロセスの最初から多様な人々と「ともに」つくりながら考える”ことが是とされます。

この観点では、「人々のニーズや問題を、デザイナーの感性やメソッドを使い、技術的・ビジネス的に実現可能なかたちで解決するアプローチ」である「デザイン思考」にも近く、平井さんは前掲の共著書で両者を「兄弟関係にある」と指摘しています。

インクルーシブデザインの「世界でも有数の事例」として、平井さんは2005年に開業した、福岡市地下鉄七隈線を挙げます。

駅のプラットホームは完全にフラットで、水勾配がなく、車椅子の人でも怖くない。各駅のエレベーターの位置と階段の位置が全部揃っており、それぞれの車両の中の優先座席や車椅子の固定場所が、エレベーターへの最短距離で設定できると言います。

これが実現したのは、プラットホームの設計どころか、一番はじめの土木設計の段階から福岡市の中にデザイン検討委員会を設置することで、市民やデザイン専門家の考え方を取り入れていたからだ、と平井さん。

「インクルーシブデザインを実現するためには、ニュートラルな組織をつくること、デザインする人がユーザーと直接関わりながら解決策を一緒に考えることが不可欠です。七隈線は、ユニバーサルデザインとして開発されましたが、そのアプローチやデザインは、インクルーシブデザインそのものです。障がい者を含めさまざまな立場の方々がプロセスに参加し、中立的な立場でディスカッションしながらデザインされた、社会的にとても良い例だと思います」

未来の私たちのためのデザイン

実社会の中でもさまざまな応用例が存在する「インクルーシブデザイン」という概念は、約30年の歴史を持っています。

始まりは1991年。ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アート(以下、RCA)で教授を務めるデザイナーのロジャー・コールマンが、「未来の私たちのためのデザイン」というコンセプトで、高齢化をテーマとする「デザインエイジプログラム」をスタートしました。

1994年には、コールマンが学会発表で初めて「インクルーシブデザイン」という言葉を使用。1999年には高齢化だけでなく、幅広くインクルーシブデザインを研究するヘレンハムリンセンター(HHC、現在はヘレンハムリンセンター・フォー・デザイン(以下、HHCD)が設立されました。

平井さんがインクルーシブデザインに携わるようになったのは、2003年頃。コクヨでデザイナーとして勤務していた1990年から1992年に、RCAに留学。帰国後は1997年から2000年に、デザイン思考で知られるアメリカのデザインコンサルタント会社IDEOに勤務し、デザイン思考の原型である、ブレインストーミングとプロトタイピングを組み合わせたワークショップ「ディープダイブ」を体験しました。

そうした経験を通して蓄積した知見やネットワークがあったため、日本で初めてインクルーシブデザインに取り組むようになった、と言います。

国内ではその概念がほぼ知られていなかった中で、2006年には、障がいのある人々によるアートプロジェクトで有名な福祉施設・たんぽぽの家と一緒に『インクルーシブデザイン ハンドブック』を刊行。同年に京都で開催された第2回国際ユニヴァーサルデザイン会議に同書を提供するなど、啓蒙活動にも取り組まれてきました。

そして2014年には、前掲の『インクルーシブデザイン: 社会の課題を解決する参加型デザイン』を刊行。その頃になると国内でもインクルーシブデザインへの眼差しが変わりつつあると感じたそう。

「それ以前は、ユニバーサルデザインと比較されることが多かったですが、2010年前後からデザイン思考が注目され始めたこともあり、インクルーシブデザインがイノベーションに寄与するデザインとして捉えられるようになったんです。つまり、そこから元々のインクルーシブデザインの哲学を守りながら、デザイン思考を取り入れたインクルーシブデザインを実践するようになりました。」

PHOTOGRAPHS BY YASUYUKI HIRAI

「デジタル化による排除」をなくすための実践

それからさらに7年が経った、2021年現在。

MicrosoftやApple、ソニーなど、インクルーシブデザインを重要視する企業はかなり増えています。また、本来的にはプロセスのデジタル化とサービスデザインの両軸が必要なデジタルフォーメーション(DX)の潮流もあり、インクルーシブデザインへの注目はますます高まっている手応えがある、と平井さんは語ります。

「デジタル領域を中心に、昨今はサービスデザインや情報デザインにおいて、マイノリティの方々やこれまで排除されてきた人々をいかにしてインクルードするかが、ビジネスとしても重要事項となっています。インクルーシブデザインは決してマイナーではなく、非常にメジャーな取り組みになっているという意識を強く持っています」

冒頭で紹介した、ジュリア・カセムの提唱する「6つの排除」の中でも、昨今は特に「デジタル化による排除」の与える影響が大きくなっています。だからこそ、MicrosoftやApple、Googleなどのテック企業も、「排除することでビジネスチャンスを逃してしまう」という認識を強く持つようになっている、と平井さん。

それゆえ、インクルーシブデザインの考え方においても「除外されている人をいかにしてインクルージョンするか」に留まらず、「いかにして開発者のバイアスを取り除くか」という視点が強まっていると言います。

「たとえば、大手テック企業が開発した顔認識技術が、白人と黒人の顔では認識率に違いがあるというニュースが話題になったことがあります。これまでは気づかなかった『デジタル化による排除』がさまざまな領域で起こっていて、人々もそうした事象にとても敏感になっている。排除をなくしてより多くの人々がデジタル技術を使えるようにし、世界中のカスタマーを増やしていくことが、ビジネス戦略として非常に重要になっています」

医療分野でも進む、インクルーシブデザインの導入

インクルーシブデザインの重要性がますます高まる中で、医療領域ではいかなる活用がなされているのでしょうか。

平井さんはその最先端事例の一つとして、前掲のHHCDにおけるヘルスケアユニットを挙げました。2014年頃は、医療器具をはじめとしたプロダクトデザインが主流だったのが、昨今はゲーミフィケーションにも力を入れるようになっているとのこと。

「たとえば、メンタルヘルスの問題を抱えて外に出かけるのが苦手な方々のために、カフェや病院などの空間をVR上で再現し、そこでのコミュニケーションの取り方や動き方を予め学習体験してもらう取り組みがあります。

また、スマホ上に表示され、消えたり動いたりするバブルを通してセラピストと会話することで、精神疾患がある方の不安や症状を和らげるアプリも開発されています。医療器具のデザインを超えて、これまで手がけていなかった領域に新たに進出している印象を受けて、とてもいいなと思っています」

さらに、HHCDは患者のみならず、医療スタッフへの「感覚的排除」や「知覚的排除」を取り除く実践もしているのだそう。たとえば、救急治療室で必要な医療器具をすぐに取り出せるように、治療方法別に器具が陳列されているワゴン。焦っているときでも失敗を防げるうえ、欠品にも気づきやすいので予防策にもなると言います。さらに、救急車の中でスムーズに医療行為が行えるよう、症状別に分類されたパッケージのデザインも手がけているそうです。

HHCD以外でも、IDEOの取り組みにも触れてくれました。服用の日時を印刷したプラスチックの袋に薬を小分けにしてユーザーに届けることで、服薬管理の手間を大幅に軽減する「PillPack」、スタンフォード大学dスクールでのMRI装置や検査室をカラフルに装飾し、台本によって宇宙旅行や海賊船の旅という設定を演出することで、子どものMRI検査への恐怖心を取り除いたケースなどです。

個々の思いがベースの問題解決こそ、デザイン最大の目標

平井さん自身が開発に携わっているヘルスケア領域のインクルーシブデザイン事例もあります。九州大学、公益財団法人北九州産業学術推進機構、株式会社さわやか倶楽部との産学官連携で生まれたツール「ライフマップ」。過去の人生を振り返りながら、今後の人生における生きがいや目標を考える支援をしてくれるツールです。

「とある介護施設に、気難しい入居者の方がいらっしゃいました。その方は、ケアマネージャーの企画するグループワークに、ほとんど参加してくれなかった。しかし、ライフマップを一緒につくってみると、風向きが変わったんです。実は奥様に先立たれた寂しさが心を占めていて、生前に一緒にやっていた庭づくりに取り組みたがっているとわかった。実際にご自身のガーデンをつくって庭仕事をしてもらうようにしたら、とても友好的に接していただけるようになりました。

ユーザー中心とは結局、人を中心に考えるということです。単にフィジカルなサービスだけでなく、一人ひとりの持っている熱い思い──アスピレーションをいかにして問題解決に反映させるか。それこそが、デザインの最も大きな目標だと思っています」

マジョリティの視点にしか立てていなかったデザインへの反省を経て、約30年前から着々と研究や社会実装が進められてきたインクルーシブデザイン。あらゆる領域において「多様性」が不可避の考慮事項となっている現代は、まさしくインクルーシブデザインが真価を発揮する時代だといえるでしょう。

続く後編では、前編の概説を踏まえたうえで、インクルーシブデザインを社会実装していく際のポイントに迫ります。インクルーシブデザインが組み込まれた病院──「インクルーシブホスピタル」は、いかにして実現可能なのでしょうか?

Text by Masaki Koike, Edit by Kotaro Okada

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