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コト2022.06.03

コーディネーターの価値が認知定着する未来に向けて。 — 筑波メディカルセンター病院が歩んだArt&Design15年間の軌跡

筑波メディカルセンター病院におけるArt&Design活動の起源は、今から15年前に遡ります。2007年の3月に筑波大学芸術分野の学生有志による活動が開始されると、大学と病院双方の要望で「大学を開くアート・デザインプロデュース」の演習として継続され、現在に至ります。

今回は、病院長としてArt&Design活動を見守ってきた軸屋先生(現 茨城県病院事業管理者)と、院内でアート・デザインコーディネーターを務める岩田さんにインタビューを実施。前半の記事では、コロナ禍で臨んだ写真展の模様を振り返りながら、ホスピタリティとは何か?の追究にArt&Designの意義を見出しました。この後半記事では、学生たちと共に歩む「使われる空間づくり」への挑戦に迫ります。

教育機関との連携は、筑波メディカルセンター病院にとっての大きなアドバンテージですが、実際のところ、Art&Designの地位が確立されるまでに10年以上の時間を要しています。険しい道のりというより、国内の先例が少ないなか、手探りで開拓する他なかった、という方が正しいそう。それを裏付けるエピソードが、草創期のプロジェクトにありました。

軸屋先生は当時をこう振り返ります。

“最初の頃、筑波大学芸術の学生達がつなぎを着て、外来の待合を練り歩くパフォーマンスをしたいと言ったのですが、「それは駄目だ」と、許可できませんでした。本当はあまり頭ごなしに否定するのは良くないのですが、やはり、社会の中で生かすためのデザインやアートを考えて欲しかったのです。学生達は、院内に非日常や楽しみを持ち込みたかったんだと思いますが、当院の状況や課題を踏まえた提案ではなかったんですね。

私は、この病院の患者さんにとって、何が良い影響を与えられるモノなのかを学生たちにしっかり考えてつくって欲しい、展示して欲しい、という風に考えていました。

少し年を取ってくると、頑固に拒否せず、もう少し好きなように踊ってもらっても良かったのかな、と今は思いますけれどもね。(笑) ”

使われるクオリティを目指す

筑波大学には『大学を開くアート・デザインプロデュース』と呼ばれる授業があります。学生たちが実践の場においてプロジェクトを調査・設計し、実行、その後考察を通して、3C力(コミュニケーション力、コラボレーション力、コーディネート力)を磨くというカリキュラムです。この社会貢献型の教育に照らし、利用調査やヒアリング調査を丁寧に行い、デザインに落とし込むというプロセスをとるようになりました。

家族控室の『はっぱパーテーション』は、調査の必要性を示す事例のひとつだと、岩田さんは話します。

“学生と病院で、小さな家族控室で二つの家族がストレスなく待てるように葉っぱの形をしたパーテーションをつくったのですが、いつの間にかパーテーションとしてではなく、風景な部屋を彩るアイテムとして使われるようになりました。つまり、小さい部屋に二組の家族が同居することを、そもそも家族は望んでいなかったということだと思いました。病院が想定していた患者家族像を疑う作業が不足していたのです。”

『はっぱパーテーション』

今年度からアート・デザインコーディネーターに着任した菅原楓さんも、筑波大学芸術分野のご出身。当時を振り返り、こうコメントします。

“学生の頃は、調査プロセスをもどかしく感じていました。早くアウトプットしたいという気持ちが強く、「この調査、本当にいるの?」と。しかし細かく調査をしてみて初めて気がつくことがありました。これからは、学生の感じるもどかしさも理解しながら、何かしらそこから得られるものを伝えていけたらいいかな、と思っています。”

この頃から、プロジェクトの評価(効果検証)を重視するようになった、と岩田さん。

“最初は手探りではあったのですが、徐々にしっかりと評価していかなければならないと、考えるようになりました。作品を良いと思ったら、使っている人だけでなく、それを知らない人にも理解してもらえるように前後で評価をとったり、そこに至るまでに、制作の過程で検証をきちんと行い、皆が納得できるモノをつくっていこう、といった方向へシフトしていったのです。”

せっかく良いアイディアを形にしても、実際に使われなくては勿体ない。そこで学生たちには、調査に時間をかけてもらうことにしました。極めてシンプルですが、制作物のクオリティを上げるために最も有効な手段だったのです。こうして、2~3年の時間をかけて、エントランスや『つつまれサロン』といった、代表的な空間のプロデュースにいたりました。

制作物のクオリティに比例して高まるのは、コーディネーターという職種の価値です。実はご自身も筑波大学芸術分野の卒業生である岩田さん。現場で再認識するコーディネーターの役割を、このように話すのでした。

“デザイナーや学生には、制作に集中して欲しい、現場の病院職員の負担にならないようにしたいという想いがあります。互いの意見も聞いて欲しいけれども、「ここは伝えないほうが良いかな」という意見も沢山あり、そこは翻訳家としては無駄なことは伝えず、職員にも、学生にも、創り手にも気苦労をかけさせないように意識しています。さらに、病院は組織の体制も非常に複雑で、作り手からすると理解し難いと思うのです。職員の勤務体系や、誰がキーパーソン(=意思決定を左右する人物)なのかは、実際に組織の中に入らないと分からないことではないでしょうか。”

コーディネーターの価値が認められる未来へ

ようやく開花を見せたArt&Designですが、これからの発展に最も期待を寄せるのは、いつも傍で見守ってきた軸屋先生かもしれません。

“病院のArt & Designを社会の一部分にしていくために、収益化することも重要であり、ちゃんと稼がないと駄目だと思っています。病院職員がアート活動を兼務するのも無理がある。ですから、病院と外とをつなぐための専門の人材が必要です。”

「パイオニアになって欲しい」という想いから発足したNPO法人チア・アートは、現在、岩田さんが理事長を努めています。

【特定非営利活動法人チア・アート】

医療福祉の環境に潜む課題や創造的な解決方法を探るために、アート・デザインプロジェクトを実施するNPO法人。2002年より筑波大学芸術分野が近隣病院と協働で取り組んできた環境改善の実践や研究成果を、さまざまな医療福祉の現場で展開していくために2017年に発足した。

出典:NPO法人 チア・アート

“私には、病院のアートコーディネーターが「飯の食える職業」になって欲しい、という夢があるのですね。頭の中で対比させるのは、美術館や博物館のキュレーターです。江戸時代や明治時代には無かった職業ですが、今の日本では職業として認知定着しているわけです。美術館や博物館と病院は、公共のインフラという点では同じ存在ですので、そういった位置づけにならないかな、なんて思っています。”

インタビューを実施した3月下旬。およそ1週間後、軸屋先生は定年で院長職退任を控えていました。筑波メディカルセンター病院の病院長としては最後のメッセージに、期待を込め、開かれゆくArt&Designの未来を託すのでした。

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