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コト2022.06.02

試行錯誤から生まれる病院のArt&Designを解く。 — 筑波メディカルセンター病院インタビュー

2019年、冬。コロナウイルスが猛威をふるい出すと、逼迫する医療現場は警鐘を鳴らしました。その渦中、アートにできることは何か?という問いにもがき、奮闘した施設がありました。

舞台となる筑波メディカルセンター病院は、1985年の設立以来、地域医療の中核を担ってきた医療施設です。長らく院内のArt&Design活動を推進してきた軸屋病院長(現茨城県病院事業管理者)と、NPO法人チア・アート代表の岩田さん。二人が導き出した答えとは、一体どのようなものだったのでしょうか。今回のインタビューでは、試行錯誤から生まれる黎明期のArt&Design、そしてそれを追究する人々の姿に迫りました。


軸屋 智昭(じくや ともあき

1981年、筑波大学医学専門学群卒業。2003年、筑波メディカルセンター病院の診療部長 (心臓血管外科)、2009年に筑波メディカルセンター病院長に就任。就任時より、筑波大学芸術分野とのアートプロジェクトに関わる。2017年、特定非営利活動法人チア・アートの理事に就任。公益財団法人筑波メディカルセンター業務執行理事を経て、2022年4月より茨城県病院事業管理者を務める。心臓血管外科名誉専門医。

岩田 祐佳梨(いわた ゆかり

特定非営利活動法人チア・アート理事長。2011年より筑波メディカルセンター病院のアート・デザインコーディネーターとして活動しながら、病院と作り手の協働によるアート・デザイン活動についての実践研究を推進。2017年に筑波大学人間総合科学研究科博士後期課程を修了し、チア・アート設立。博士(デザイン学)。現在、筑波大学非常勤講師・研究員、日本工業大学非常勤講師を務める傍ら、チア・アートの活動に従事。2018年より、筑波メディカルセンターからの委託を請け、チア・アートが院内のArt&Designのコーディネート業務を担っている。


新型コロナウイルス感染症に対する「もうひとつ」の闘い方

コロナ禍において、アートは必要不可欠なものだったか?

院内に常駐するコーディネーターの岩田さんにすら、その答えは分かりませんでした。しかし、特異な状況は反ってその必要性を確信させます。物理的な分断を強制された時、対面のコミュニケーションに代わり得るものこそ、アート作品や空間だったのです。とりわけ写真は最適なツールでした。患者さんと医療従事者、あるいは患者さんとその家族をつなげる仕掛けとして。一方で、医療従事者にはなるべく負担をかけず、働く姿を引き出すため。院内の緊張感は極端に高まっていましたが、病院や医療スタッフへの親しみや安心感を感じてもらう取り組みとして、2020年、写真展『病院のまなざし』は始まりました。

写真展『病院のまなざし』

新型コロナウイルス感染症の流行により、患者さんも医療者も高い緊張感を強いられている。患者さんやご家族に病院や職員への親しみや安心感を感じてもらい、感染症に向き合う職員への敬意と感謝を伝えるため、職員が働いている姿を紹介する写真展を開催。約180mある病院廊下に71枚の様々な職種の職員の写真が展示されている。真剣なまなざし、ほっと一息ついた表情、患者さんに向けられた優しい視線など、職員が見せるまなざしや豊かな表情からは、感染症に向き合う病院の雰囲気や職員の人となりを垣間見ることが出来る。

(出典:チア・アート ホームページ 写真展「病院のまなざし」) 

岩田さんはこの展示を振り返り、語ります。

“最初は「(患者さんに)笑顔を届けよう」というコンセプトで、各部門の部長さんへ話をもっていきました。しかし、患者さんと接している部署の職員は笑顔を撮影することが出来るかもしれないけれども、そうではない職員も沢山いて、その方達は真剣な表情で仕事をしているので、笑顔は出せないと言われたのです。その時に、自分自身がステレオタイプな病院職員像を描いていたことに気づかされました。そこで、働いているプロフェッショナルの自然な姿を撮る中で生まれる笑顔や日常的な姿に焦点を当てようということになりました。職員の日常の姿は、同じ部署の職員以外にはなかなか伝わらない部分もあり、人間性全体をトータルで見せるものができたら良いな、と思いました。写真を展示した瞬間、職員の皆さんが「わ、何これ!」と、口々に寄って来て、「この先生、こんなお茶目な顔するんだ」と、職員同士で盛り上がって話をしたり、「働く力になった」と言ってくださいました。そんな光景を見て、このプロジェクトが間違っていなかったのかな、とはじめて感じられました。”

スポットライトに当たる体験がモチベーションに繋がったり、知らない職員同士が知り合うきっかけになったのは、今回のプロジェクトにとって、思いも寄らぬ副次的な成果でした。そんな職員の変化を目の当たりにした当時、病院長を務めていた軸屋先生は、確信のない状況下で開催した『病院のまなざし』を、こう評するのでした。

“ひょっとすると失敗していたかもしれません。実際に「え、この時期にこんなことするの?」という意見もありました。だから、職員が写真に感動している姿を見て、こちらも驚いた、というのが正直なところです。成果を意図していなかったですし「さあ、どうだ。うちの病院は凄いだろ!」なんて意識もありません。ある意味、この展示は苦しんだ産物なのです。どこの病院もコロナを経験したことはないですし、様々な制約がある中、Art&Designの活動が従来のようにはできなくなってしまいました。その中で、生み出したものが今回の展示だったのです。”

軸屋先生は続けます。

“病院のArt&Designは生まれたばかりの領域です。試行錯誤する中から色々なものが出てくるのです。それで良いと思っています。あとは、その発展をこちらがじっと待っていられるかどうかの問題ですね。「どうしようもないから」「いらないから」と切ってしまえば育ちません。”

アートとは、思考が形となって表れるもの

経営責任者(病院長)であった軸屋先生がArt&Design活動の一番の理解者と知った今、何故、そこまでして病院でアートを追究し続けるのか?という根本的な疑問が浮かび上がってくるのでした。軸屋先生へ切り出した、ホスピタリティとは何か?に対する返答が、それを明らかにします。

“その質問は、誰も正解をもっていないのではないでしょうか。色々なものがホスピタリティに成りうるため、我々がやっている活動は「ホスピタリティはこうゆうものなのかもしれない」を、見つける作業だと思います。だから、あまり明確なイメージは持たないのです。”

哲学者のマルティン・ハイデッガーは、「空間をつくること、考えること、住むことは一体」であると言いました※。つまり、「つくること」は「住むこと」を「考えること」であり、連続していて切り離せない、と。この思想はホスピタリティについても共通している、と岩田さんは考えます。

“ホスピタルアートとか病院のアートについて「どういうものが良いと思いますか?」と聞かれることがありますが、それはその病院によっても、そこにいる人達によっても全く変わってくるため、一概に「こういうアートが良いですとは言えません」と答えるのですね。そこで皆さんが必要とするものは何か、どういうケアの在り方を体現したいか、ホスピタリティとは何か、という思考が形になって表れてきたものだと思っています。

先述の写真展『病院のまなざし』は、職員一人ひとりが「被写体」であることがアート作品へのひとつの参加方法になっていたと強調する岩田さん。当事者に制作プロセスへ参画してもらうスタンスを大切にするのは、それ自体がホスピタリティの体現であり、Art&Design活動の目的だからだったのです。

筑波メディカルセンター病院に特有のArt&Design活動について、軸屋先生は言います。

“アートには様々な種類がありますが、我々の施設では空間の改修やデザインなど空間プロデュースが多いのですね。それは、空間は患者さんも職員も、デザインをする方々も共有することが可能だからです。要するに、私たちが色々な人による参画型のArt&Designに取り組もうと思った時に、空間プロデュースが最適だったのです。だから、絵画を飾ることもホスピタルアートだとは思うのだけれども、その絵画を描く過程を共有できるかというと、難しいですよね。私たちの病院は「参画型」を掲げたから、こういうかたちになったのだと思います。”

非日常の中にある心地よさとは何か

どんなに熟練したデザイナーでも、ユーザー像を見誤っては、望ましい体験価値を提供することはできません。Art&Design活動の中で、ホスピタリティとは何か?提供したいケアは何か?を考える時も同様。互いに無意識のステレオタイプに気がつける。それが、医療者と制作者(デザイナー・アーティスト)が制作過程で同時に参画するもうひとつの意義なのです。もっとも、病院らしくない空間とは何か?を起点に患者さんを想像する時、それ自体がステレオタイプの押し付けにつながり兼ねない、と軸屋先生は示唆します。

“病院の中は「非日常」なのです。非日常の社会活動や空間活動を、日常に模倣しようとすること、それ自体が間違っているかもしれない、とも思っています。非日常の中に何らかの心地よさがあるのですよね、おそらく。例えば多くの病室にテレビがありますが、手術や化学療法を受ける急性期病院の患者さんにとっては、ガチャガチャ鳴っているテレビは煩(うるさ)いだけです。テレビがあって、チャンネルが沢山あって、大きい画面があると良いというのは、普通の人たちの物差しに過ぎないのかもしれません。そこからして、我々が日常で心地いいと思っていることを一生懸命に押しつけているのではないか、と戒めながら思っています。”

想像上の患者像(バイアス)と実際を行き来しながら、非日常の中にあるノーマル(心地よさ)を問い続ける。後半記事では、その問いの先に見えてきたArt&Design活動のパラダイムシフトについて、考えていきたいと思います。

※参考文献 「中村貫志:ハイデッガーの建築論―建てる・住まう・考える, 中央公論美術出版, 2008」

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