厚生労働省の発表では、2025年における看護師の必要数は200万人、現在の見込みでは最大で27万人不足すると予想されています。この要因には、病床数の多さも然ることながら、9 2.2%が女性である看護師にとって結婚・出産などのライフイベントが離職理由の上位にあるためとも言われます。(出典:「医療従事者の需給に関する検討会 看護職員需給分科会 中間とりまとめ」(厚生労働省)、「平成30年衛生行政報告例(就業医療関係者)の概況」(厚生労働省)
しかしライフイベント自体だけが、仕事をやめる理由なのでしょうか。
「看護師を辞める人と辞めない人、何が違うのかと考えると目的や目標があるか否かだと思います。」とお話するのは江口智子さん。ご自身も離職や転職のご経験を持ち、レジリエンスというアプローチで看護師を元気づける活動をされている江口さんにお話を伺いました。
江口 智子(えぐち ともこ)
看護師として、6年間大学病院勤務の後、結婚退職。11年間専業主婦として過ごす。11年のブランクを抱え、39歳で地域の急性期中核病院に復職。浦島太郎状態で、数々の失敗を経験。その病院で、主任看護師、看護師長、副看護部長を経験する。
仕事で葛藤を抱えている時、「レジリエンス」を知り、学び始める。「レジリエンスは医療の現場に必要なもの」と現場教育に取り入れる。その後、「レジリエンスを広めることは、私の使命」と感じ、病院を退職してフリーとなる。現在、レジリエンス伝道師として活動中。
他、講師として介護士や各種専門学生に医療の知識や技術を講義。フリー看護師として、様々な現場対応。雑誌などの執筆活動。
仕事への意味付け
自分の仕事に対する意味付けや、はっきりとした目的意識をもつ人はどのくらいいるでしょうか。看護師もその例外ではなく、仕事を手放す理由は様々です。
「結婚を機に遠くに住むことになり通勤時間が今よりかかる」「伴侶の仕事を手伝いたい」「上司とそりが合わない」「奨学金の返済免除となる期間の勤務が達成できた」「なんとなく辞めたい」…。
これらの理由を目の前にして、「辞める」「辞めない」の分かれ道になるのは、その人自身の仕事に対する意味づけや目的意識、あるいは帰属意識の有無だと江口さんは話します。
江口さん
“ 結婚をしながらも病院に対する愛着だとか、そこで働き続けたい意思が強く辞めなかった同級生がいた一方で、私はあっさりと辞めました。振り返ると私はその時すごく仕事に疲れていて、ストレスから逃げる道として離職に踏み切ったように思います。
もともと、看護師にすごくなりたくてなったわけではないのです。経済的に自立しないといけない。親にも授業料の負担をかけたくない。そう思って選んだ道だったので、看護学校時代の3年間はつらいものでした。”
ご自身のことを「目的を持たずに働くとどうなるか」という実例として伝えてくださった江口さん。では、どのようにして夢やゴール、使命感は生まれてくるのでしょうか。
江口さん
“「夢を持ちましょう」や「目標は何でしょうか」と、それらを一生懸命に語らせようとすることがありますが、そもそも目的や夢など無い人の方が多いと思います。「いまやっていて楽しいこと」や「仕事のなかで楽しかったこと」を発掘していくと、それがやりがいになったり、仕事の意味づけに変るのではないでしょうか。または、「あなたの使命はこれです」と、人に預けられた使命に気づいて取り組んでいくことで、そのうちに自分の夢や目標が見つかることもあります。”
江口さんが現在の活動の中で意識されるのは「いかに目の前の人に喜んでもらえるか」だけ。昔から人の笑顔を見るのが好きな彼女は、副看護部長の立場で勤務していた病院でも忘年会を大いに盛り上げ、そのことが日常のコミュニケーションにつながっていたそうです。
自分の中から湧き出る自己効力感
レジリエンスとは
“レジリエンスとは、突発的な変化に対し、それを受けとめ適応していくこと、または受けとめ難く一旦落ち込んでも回復し前に進んでいく力、成長する力”
しなやかで強い心の性質(レジリエンス)を形成する要素は複数あると言います。
江口さん
“私が一番大事だと思うのは「自己効力感」です。自己効力感は自分の中から湧き出るものです。誰とも比べないですし、仮に比べるとしても、過去の自分と比べ成長を感じます。そこに比較や競争はないのです。よく似た言葉に「自己肯定感」があります。自己肯定感には「ありのままの自分を見つめる」という意味があるのですが、プライドが高い人や、他人と比べて優越感を感じている人も自己肯定感が高いと言えます。自己効力感が発揮されるのは、困難や課題が目の前にある時です。なぜならば何もない時にわざわざ「やってみよう」と思うことが無いからです。
レジリエンスを伝える活動をする中で、ホームページにひょっこりメールをくれた方がいました。その方は研修を受けて、レジリエンスを日常で意識するように自分なりに頑張ってみました。「今年も昇進しないか」と言われ、何年も断っていた昇格試験を受けることにしたそうです。”
自分にとってやるべきことに気づいた人から、効力感を発揮できるようになるのでしょう。
渦中にあるときこそ別の視点を
コロナ禍と言われた2020年、江口さんはレジリエンス伝道師としての活動以外にも、看護師の資格を活かして保健所でのコロナ対応相談電話を受ける仕事を始めました。「とにかく今必要とされていることを一生懸命にしよう」と執務されていたところ、保健所からオファーがあり、そこでレジリエンスを語る機会が生まれたのです。
江口さん
“「電話対応でこれだけ人に安心を与えられるんだな」と感じました。相談の仕事を通じて自分の腕も磨けたと思います。困難な状況下でも違った視点で物事を見られる”ベネフィットファインディング”という言葉があります。
「あの10年前のつらい出来事があったから今の自分があるんだな」と、ポジティブに振り返られる日がいつかきっと訪れる。渦中にある時こそ、顔を上げて前を向く意識が必要なのかもしれません。”
レジリエンス。それはネガティブな心理状態の人が回復力や逆境力を身に付けることだけでなく、誰しもが自分自身の中に眠る素晴らしい才能に気づき、育てる一つのヒントになるのではないでしょうか。