社会医療法人石川記念会 HITO病院のDXへの取り組み(前編)

日本全体で少子高齢化が急速に進む中、多くの医療機関でも人材不足が喫緊の課題となっています。診療の質を保ちながら適切な医療を提供し続けるためには、DX戦略は必須であり、もはや単なる効率化の手段ではありません。
DXを組織と地域医療の「生存戦略」と位置付け、さまざまなDX施策を実践している愛媛県四国中央市の社会医療法人石川記念会 HITO病院(以下、HITO病院)。
理事長・石川賀代さんと、DX推進室CXO(Chief Transformation Officer)であり脳神経外科部長の篠原直樹さんに、DX推進の具体的な方策と組織に浸透させるための工夫について伺いました。
人手不足をきっかけにチャットツールを導入、手応えを感じる
―― HITO病院では、2018年からDXに取り組まれていますが、具体的なきっかけがあれば教えてください。
篠原CXO きっかけは、私を含む脳神経外科の医師が2名から1名になったことです。少ない人員で以前と同様の救急医療を提供しなければならない状況になった際、業務用チャットを導入したことが始まりです。
具体的には、私を含めた脳神経外科のチーム約10名にスマートフォンを持ってもらい、業務用のチャットツールでつながるようにしました。実際、以前よりはるかに情報共有しやすくなって、電話以外のコミュニケーションが進んだので「院内にどんどん広めていけたらいいな」と感じました。この体験がDXの最初の一歩になりました。
人手が足りなくなったことをどう補うか、提供する医療サービスを縮小することなく維持しながら補っていくためには、何かを変えないと難しい。その手段として、デジタル技術を活用したということです。
―― 現在はスタッフ全員がスマートフォン(iPhone)を利用しているそうですが、スマートフォンはどのように導入されていったのでしょうか?

石川理事長 当初はiPhoneではなく、アンドロイドのスマートフォンを10台ほど導入し、ビジネスチャットツールの「LINEWORKS」を使い始めました。
篠原CXO DXを進めていく上では、やはりセキュリティリスクとコストが障壁になります。ですから、コストのかからないもので実施するという意味でアンドロイドを選択したということです。実証の段階では、どこまで本当に有効なのか、やってみないとわからないので、まずは小さくスタートしました。
実際、チャットを使い始めると、電話はあまり使わなくなるんですよね。
対面や電話よりも楽にコミュニケーションできて、ストレスが減ります。そこが大きなポイントだと思います。例えば、対面や電話で医師に連絡を取ろうとすると、忙しい時間を避けるなど配慮が必要になります。でもチャットなら、タイミングを見計らう必要がありません。 だから、チャットを使えるという選択肢があると、スタッフがみんな使う方向に流れていく。
結果的に、患者さんの情報が医師やスタッフに早く伝わるので、早く介入できて重症化せずに済むなど、すごく良い方向に進んでいると感じます。
DXツールの活用で、本来の業務により集中できるよう変化
―― チャットツールを活用することで、現場の働き方はどのように変化しましたか?
篠原CXO 大きく二つあります。一つは、ベッドサイドでケアを行う体制が整ったこと。
入院患者さんが高齢化して、認知症や転倒転落のリスクがある人が増えている現状で、できるだけ身体拘束せずに、いかに入院生活を送ってもらうかが課題だったんです。それをどうやって解決するかを考えたときに、患者さんの近くにメディカルスタッフがいる体制が一番いいと思いました。
では、なぜメディカルスタッフがベッドサイドにいることができないのか。
今までは報告・連絡・相談のために、スタッフステーションにみんなが集まるのが当たり前だったんです。業務の申し送りなども、みんなが集まって、1人が喋ってみんながそれを聞くようなスタイルで。そこをデジタル化すれば、解決できるのではないかと考えました。
スタッフステーションにいる時間が少なくなると、それだけベッドサイドにいる時間が増えます。当院では、「多職種協働セルケアシステム🄬」というシステムで、看護師だけでなく、リハビリセラピスト、介護士も含めて、ベッドサイドでケアをするような働き方に変えることができました。それがDXの一つ目の大きな成果です。

スマートグラスを活用し、現場のスタッフを遠隔から支援
―― チャットツールの活用によって、多職種のスタッフがベッドサイドで患者さんのケアに集中できる環境になったということですね。もう一つの成果は?
篠原CXO ICTを活用して、オンザジョブトレーニング(OJT)というか、現場での学習ができるようになったことです。具体的には、スマートグラスを活用して、主に訪問看護・在宅医療の現場で、スタッフを遠隔から支援しています。
例えば、看護師が一人で訪問看護している時に、困ることも生じるんですよね。そんな時にスマートグラスがあれば、空間情報を共有しながら、病院にいる医師や専門の看護師などの専門職に相談することができます。

これから人手不足になってくると、一人で全てのことができる看護師ばかりとは限らないわけで、経験の浅い看護師も、訪問看護に行かないといけない。今までは、院内で研修を積んだり、勉強会をしたりして、育て上げてから外に出していましたが、人手不足が深刻な現状では、時間をかけて育てていると間に合わないです。
そうなると、訪問看護を遠隔から支援できる体制がないといけない。そのために、働きながら学べる環境を、スマートグラスというICTの活用によって実現できたのは大きなメリットだと思います。
当院では、特定行為の研修を行っており、在宅ケアの特定行為ができる看護師が育ってきています。看護師が訪問の現場に出て、スマートグラスを活用しながら病院にいる専門職にアドバイスを受けながら対応しています。
将来的には、その人たちがさらに新人たちを、遠隔からアドバイスするようになる。特定行為ができる看護師だけでは人数が足りないので、そのようにICTを活用したOJTを行っていく。人材育成の環境が整っていくのも、DXの効果だと思います。
石川理事長 スタッフが本来業務に専念できる環境をつくるというのが、第1段階で私たちが考えていたことです。そのためのベースとして、DX推進というものを置いています。
Teamsでプロジェクト型チームを立ち上げることで、意思決定スピードが向上
―― チャットツールとスマートグラスによって、スタッフの働きやすさや人材育成に大きな成果が出ているのですね。ほかに、DXの推進によって組織の変化はありましたか?
篠原CXO DXをスタートしてから、気づいたことがあります。いろんな現場の課題に迅速に対応していくには、やはりICT活用が必要だと。
これまでは、意思決定を行う際、月に一度の会議で時間をかけて話し合い、どうするか決めて……とやっていたので、時間が結構かかっていました。例えば、ある業務をすぐに実行しないといけないのに、時間が経ってから会議で決まって、現場に伝えた時には、もう間に合わないということが結構ありました。
今は、マイクロソフトのTeamsを活用してプロジェクト型のチームを立ち上げています。
これにより、意思決定から行動、そして検証と修正をスピーディに進められるようになりました。 Teamsを使ったプロジェクト型チームと、これまでの階層型の組織構造とを融合する。具体的には、最初の実証実験的な取り組みはプロジェクト型チームでスピード感をもって実施し、ある程度成果が出て、導入時のリスクも把握できる状態になったら、それを階層型の組織の枠組みに落とし込む。
意思決定や検証にかかる時間を短くしながら、現場での具体的な運用ではより安全に確実に医療がなされるような状態に持っていくというように、組織の柔軟性と確実性、2つのバランスが良くなったことは、DXの恩恵だと思います。
現場を観察して課題を発見し、実証実験としてDXを進める
―― DXを展開するにあたって、あらかじめ現場のニーズや課題をヒアリングされたのでしょうか?
篠原CXO 実は、現場のスタッフへのヒアリングは、あまりしないようにしています。「この人の言うことは聞くけど、この人の言うことは聞かないのか?」と問題になってしまうので。
最初は、DX推進室のメンバーが現場を見ることで、課題に気づくのが大事だと思います。その課題を解決するために、社会ですでに普及しているテクノロジーを低コストでセキュアに導入するようにしています。
―― 「現場を見る」とは、具体的にどのような部分を観察されるのでしょうか?
篠原CXO 最初のコミュニケーションの変革に関しては、シュレッダー行きのメモ紙を見ました。以前は、みんな紙にメモして、その後カルテにも記載したりして、いらなくなったら、夕方には捨てていました。でも、紙に書いてある情報って共有されないんですよね。
だったら、その情報を最初にオンラインに全部載せてしまえば、すぐ共有できるし、手書きせずに済むし、スタッフが集まらなくても済みます。このように、シュレッダー行きのメモ紙を観察して、「これはオンラインにした方がいい」「これは今まで通りでもいい」と仕分けていきました。

―― DXツールを導入するかしないかの判断は、何を基準にされていますか?
篠原CXO ある程度、現場を見て「ここは改善できる」と思ったら、その部署のスタッフに雑談的な感じで聞いてみたり、反応を見たりしています。あとは、その課題を解決するテクノロジーを導入するにあたって、技術的なハードルやコストをDX推進室 室長の佐伯さんと相談しながら進めています。
その結果「行けそう」だとなった時に、理事長に「こういう実証実験をしたい」と伝えて、「やってみましょう」と言われたら、実行します。
その段階になって初めて、各部署の部署長とリーダーに話をしたり、稟議書を提出したり、倫理委員会にかけたりして、正式な手続きを踏みながら、実証実験を進めていきます。
ただし、検証するといっても、細かくデータを取ろうとすると、現場に負担をかけてしまいます。新しいツールを本当に現場で使っているかどうかは、見たらわかりますよね。必要だったら使うし、必要じゃなかったら使わなくなるので。
選択肢の一つとして導入した結果を見ながら、何人かにヒアリングして「確かに良いですよ」と言ってくれたら、「良さそうなので広めていこうか」という流れになります。その時に初めて、組織全体に周知して、進めていくようにしています。
DXツールはスタッフに強制せず、「小さく始めて伴走する」を徹底
―― 現在、多くの医療機関がDXを検討されていますが、導入に当たってハードルがあるようです。HITO病院では、どうやってDXツールを現場に根付かせていますか?導入時に反発があったりしませんか?

篠原CXO 反発が出ないような環境をつくることを、すごく大事にしています。
当院では、理事長が毎年1月に「チャレンジ」や「変革」など、その年の方針をスタッフに伝えます。その組織変革のビジョンをみんなで共有した上で、DXへの移行を進めています。
そして、新しいツールを使うことを強制しないこと。
選択肢の一つとしてデジタルツールが選べるような環境をつくって、すでに社会に浸透しているツールをまず使うんです。スマートフォンもそうですし、チャットもそうです。生成AIも、最近徐々に使う人が増えてきています。
そういった、今後インフラになるようなツールを、他の病院に先駆けて取り入れるようにしています。興味を持ったスタッフから徐々に使い始めて、「やっぱりこれの方が便利になるよね」と絶対思うはずなんですよね。
使ってみて便利だと思うスタッフが大多数になってきたときに、先ほど言った階層型の組織の中で、「こういうツールを使ってやっていきましょう」と、話を進めていきます。いきなり難しいことをお願いしても反発されるので、「これだったらやれるかな」というレベルで、各チームと階層ごとに落とし込んでいく感じです。
石川理事長 新しいデジタルツールを導入することが目的ではなくて、「何の課題を解決するために、どんなツールが必要か」を明確にすることが重要です。また、すでに異業種で実装されているツールを導入するなど、できるだけハードルを低くするのもポイントだと思います。
それと、医師主導で物事を進めないことも大切です。全員の意見を聞いて進めるとなると、スピードが遅くなってしまうんですよね。ですから、新しいツールは、使いたい人から使っていく。その結果、働き方改革が進み、タスクシフトなども進んでいきます。
タスクシフトは医師以外のメディカルスタッフがまず効率的に楽に働けるようにならないと、余裕が生まれず、進まないと思います。
また、「プロジェクトを立ち上げるぞ」みたいに大きく構えると、「そんなこと言っても……」という声は沢山出てきます。
だからこそ、新しい取り組みは小さく始めて「なんか便利そうだな」とか「これ使ってみたら? 便利だから」というスタッフの口コミのような感じで、興味を持たせるようにして長い目で見ていくことを大切にしています。実際に使って便利だと、スタッフもだんだん使うようになっていきますよ。
―― 異業種でも使われているような馴染みやすいテクノロジーを、強制せずに選択肢の一つとして使ってもらうのがポイントなのですね。そのほかに工夫されていることはありますか?
篠原CXO DX推進室のメンバーが伴走し、何かあった時にはサポートするようにしています。
DXのマニュアルをみんなに一斉配信しても、だいたい読まないし、使ってくれません。でも、困った時に人が対応してくれると、新しいツールを使ってくれる確率がすごく高くなります。使う人が増えてくると、周りの人に教え合ったりもするようになります。
結局、小さく始めることがすごく大事で、小さく始めることによって実証実験したときに成果を出しやすいんですよね。DX推進室のメンバーも、伴走しやすいんですよ。
最初から大規模にやろうとすると、伴走しづらくて成果が出るところまで持っていけません。だから、小さく始めてサポートしていくことが、とても大事です。
まとめると、反発を生まないような、みんなが使ったことがあるようなツールをまず導入することと、「こんなふうに楽になるよ」というビジョンを共有する中で、選択肢として提示する。そして、使ってくれる人が増えるように伴走して、検証して、良い結果が出れば、それを必要だと思われるところに横展開していく。このあたりが、DXを病院で進めていく上では、すごく大事なことだと思います。
